起業10年の思い出トークより
※『3jags通信vol.10』2000.1.1発行版に掲載しました。起業してからの10年までの歩みをまとめてました。
第1話 山あり谷あり、カメの歩みで続けたスリージャグスのこの10年
1988年、1年間のアジア旅行から帰国した私たちの全身には“元気パワー”がみなぎっていました。何を見ても何をしてもワクワクと楽しく、心身ともに快適で、充足していたこのときの感覚は、日常には得難い特別なものでした。自分が願うことは自分の力でかなえられるに違いないと確信(盲信?)できる、そんなパワフルな気分でした。私たちは、こうしたパワーを源に、旅行中と同様、自らの意志と判断を重んじて生きていこうと決意していました。
再び旅へ出られる自由を確保しつつ、社会に向き合っていこう(稼がねば)と考えた私たちが選んだのが、会社設立でした。今思えば哀れなほど社会経験に乏しく、未来に横たわる困難は想像するよりほかになかったのですが、それだけに無謀にも大胆にもなれたのでしょう。
大切なのは、ひとつひとつ自分自身で判断して積み上げていくことだと思います。その思いを旅行という共通の体験を通して分かち合っている仲間がいたことも、大きな励みでした。ちなみに登記は6カ月ほどかけて、自分たちで行ないました。
第2話 さぁ、たいへんだ!仕事がない、米がない…
というような事態がなかったとは申しません。その実、かなり頻繁に緊急事態に陥っていました。すでにバブルは崩壊後、仕事がないというよりも、生活していくギリギリの収入しかない時期がありました。今もちょっとやそっとの貧乏ではへこたれません。
大学卒業後に就職し、1年間アジアを見聞して歩いて、やっと20代半ば。資金はないに等しく、人脈はわずかなもの、限られたものながら編集者としての経験はあるというのが現実でした。
その当時のいつだったか、デートのさなかの会話で、「食べる物にも困るようなら、僕の田舎から米くらいなら送るから」と言われたことがありました(誰の体験かって? それはご想像におまかせします)。悲愴感はまったくなかったので驚き、このフレーズだけは鮮明に記憶しています。仕事に夢中になっていた私は、この男性からのデートのお誘いを続けて3回お断りして、それきりになってしまいました。断ったという意識もないうちにプツンと連絡が途絶え、事態を悟ったのでした。残念!
第3話 やればやるほど面白くなる編集の奥深さ
業界内でさえ理解されにくいのが編集という仕事です。ライターでもなく、デザイナーでもなく、校正者でもありません。作業の実態が見えづらいために、編集という作業項目は、値引きの対象にもなりがちなほどです。
さて、私たちは編集者を2種類に分けて考えています。一つが企画を主とする編集者(プランナーまたはプロデューサー)で、出版社の編集者には必須の能力です。もう一つは、行程管理を主とする編集者(ディレクター)です。もちろん一人が兼ねてもよく、相互に領域をまたがって仕事を進める場合もあります。また、出版社が1冊丸ごと外注するようなケースでは、請け負った側に行程管理を主とする編集作業もまかされることになります。ディレクターは、予算を割り出し、質を維持し、スタッフとスケジュールを調整する人です。現状では、ディレクターにはコストを削減する能力も厳しく求められています。
スリージャグスは、1冊丸ごとの制作も、その一部分の制作も行ないます。制作はライター、デザイナー、校正者などを編集者が組織して行なうのですが、作業の各行程は社内のスタッフもこなします。 身の周りにある情報や、他人のもつ知識を、より多くの人にわかりやすい形で表現することに、大きな喜びを感じています。
第4話 ひそかに鍛えよう、女性のハート!
私たちは、社会に直に関わり、できることなら社会に貢献し、自らの行動は自らの意志で決定し実行できる存在でありたいと望んでいます。私たちにとって、この中には、一人でも生活していけるだけの収入を確保することも含まれます。仕事はそのための必要条件です。こんなことを特に意識しているのは、「仕事か結婚か」といった話がとても身近だった世代だからかもしれません(どちらかを選択しなければいけないなんて、考えたことはないけどね)。
日本の女性の立場は、年代ごとに変わっていて、考え方もずいぶん異なります。時代時代の女性に対する概念や気分に影響されるのは仕方のないことですが、結婚と仕事、子育てと仕事という女性にとって不変の問題に自分なりのスタンスをもつには、既成の概念に縛られる必要はなく、視野を広くもつことが大切と思っています。
スリージャグスのスタッフは、今までのところ全員女性ですが、彼女たちにも視野を広くもち、自分なりのスタンスで仕事と個人生活を両立して欲しいと願っています。
第5話 初めての大きな壁、“人”という摩訶不思議なもの
設立して5年、信用を積み重ねてきた結果、仕事量も増え、スリージャグスはとらばーゆ組の社員を迎えました。
◆壁その1 初めて入った会社が親になる
鳥は卵からかえって最初に目にした者を親だと思い込むと聞いたことがあります。これを刷り込みというとか。人もまた、初めて社会人になったときに出会った会社の体質・環境に大きく影響されるようです(当人が自覚していることはまずないみたい)。
中途採用のメリットは、社会人としての常識…遅刻をしないとか、言い訳をしないといったこと…を教えなくてよいことだと思っていましたが、この考えはかなり甘かったようです。とても驚き、どのように指導していったらよいのか悩みました。自分たちには、新たに入ってくる社員に対して、重い責任のあるこを実感しました。
◆壁その2 教えることは待つこと、耐えること
編集プロダクションには、こなさなくてはならない作業が多量にあり、日々時間に追われます。分割した作業を与えられ、指示されたとおりにこなすことは容易でも、次にくる作業、さらにその次の作業、社外で行なわれる作業、企画の意図へと目を配り、指示された以上のことをこなすようになるには時間がかかります。小さな理解の積み重ねが全体の理解へと繋がり、理解が深まれば、今こなしている作業に対する自信や面白みも広がります。初めの一歩、小さな理解を得られるまで、諦めずに待つこと、耐えることも私たちの課題です。それだけに、思いがけないほどのやる気を見せられると、本当に嬉しいものです。
◆壁その3 逃げるな! 逃すな!
誰しも、社会へ入れば社会人と呼ばれる立場になりますが、即完成された(味のあるっていうやつ)社会人にはなり得ません。自分が選んだ仕事にどのように取り組み、経験を重ねていくかが、大切なのだと思います(おかしな大人も多いもの)。
「上司がやれと言ったので、やっただけです」みたいな発言、耳にすることありますよね。これって、責任の放棄です。その場しのぎに気は楽なのかも知れませんが、大袈裟に言えば、回り回って自分の人生を放棄してしまうことになると思います。私たちとしては、立場の違いを理由に責任を放棄させないよう、注意していないといけません。
私たちの仕事に対するスタンスは、旅をしていたときとまったく変わっていません。それは、“知らない事は覚える。経験したこと(教えられたこと)は自分なりに考えて理解し、身に付けていく。自分で判断したことの結果に責任をもつ”です。スタッフにも、同じ姿勢を期待しています。
第6話 結束力は強いぞ、服部・下西の実態
仕事を始めて以来、いつ決裂するか楽しみに待っているような発言をする人もあり、「女に友情はない」とまで言われたことも少なからずありました。しかし、やはり1人より2人、3人です。3点で支え立っている建物が倒れにくいのと同じく、私たちはきっちり支えあっています。設立当初の3人目のメンバーはスリージャグスを実質上去りましたが、今はスタッフが3本目の柱となって支えてくれています。
正直なところ、徒手空拳で社会に飛び込んだ私たちは、予想以上の大波にもまれ続け、仲違いする暇がなかったのです(喧嘩はいっぱいしたよ)。そんな経験を通して、二人三脚の強みも身に付けました。
第7話 2000年により大きな活動の場を求めて
1990年、旅体験を基盤にスタートしたスリージャグスは、今年で10年目を迎えます。今年、スリージャグスは原点である旅に立ち戻ってみようと考えています。21世紀に、スリージャグスがどのような会社として発展していくか。“過去と現在の旅を繋げる”を次の10年のキーワードとし、スタッフと力をあわせて、身近な情報や人々のもつ知識をまとめあげていく編集の仕事に、今以上の活動の場を求めつつ、力を尽くしていきたいと思っています。